亡くなる前々日に突然崩れ落ちた
私が最初に暮らした犬は19年2ヶ月生きました。
ワクチン以外で病院に行ったことがないくらいの健康優良児。
そのワクチンも高齢で免除されていたので
年を取ってからは本当に病院には無縁。
自宅で老衰にて亡くなりました。
亡くなる前々日の夜、トイレに入っている私を覗きに来た時に
ドアの前で突然がくっと崩れて立てなくなりました。
「わんこは歩けているうちは大丈夫。
突然立てなくなるわよ。」
老衰で愛犬を見送った知人からそう聞いていたので
ついにそのときが来たと思いました。
そこからは柔らかくしたフードを口元に運んでも舐めようとしません。
水は舌に垂らすと一生懸命飲み込もうとしますが、
生命を保つのに十分な量なんて飲まない。
きっと旅立つ準備をしていたのでしょうね。
ここで病院に連れて行くこともできましたが、
病院に行って怖い思いをして数日の延命をするくらいなら
暮らし慣れた我が家で旅立つ方が犬も安心するだろうと思い、
最期は家で迎えることにしました。
亡くなる前日の様子
立てなくなった翌日になると水も受け付けず、
時々私を探してクンクンと鳴くようになりました。
「ここにいるよ。隣にずっといるよ。」と声を掛けながら
撫でると納得したようにぷしゅっと鼻を鳴らしてから眠ります。
それの繰り返しでした。
目が覚めると私を探して鳴き、撫でるとぷしゅっと鼻を鳴らして眠る。
隣にいてももう見えていなかったのでしょうね。
触ると安心するみたいです。
死の直前にあっても愛犬は私を求めてくれていると思うと
19年を共に生きた絆、心の繋がりを感じられて温かい気持ちになりました。
愛犬は年齢とともに毛も伸びなくなり、
筋肉が落ちて最期は背骨も浮き上がっていました。
でも、寝顔はいつも通り口角が上がってて穏やか。
痛がったり苦しそうにする様子はないのでそれだけが救いでした。
旅立ちの瞬間
愛犬が旅立った日は大晦日でした。
実は呼吸の止まる瞬間を見ていません。
こんなことを書いたらなんて呑気な飼い主だと言われそうですが、
大晦日だったのでバラエティー番組が盛りだくさん。
愛犬の隣に座り、テレビを見ていました。
確か、英語禁止ボーリングをやっていたと思います。
英語を使ったら罰金で1,000円を取られてしまうコーナーです。
どうにかして英語を言わせようとする出演者さん同士の
やり取りが面白くて私は大笑い。
「面白すぎるよねぇ!」と愛犬を撫でたら…あれ。
呼吸してない!
数分前まで眠ってたのにそのまま旅立ってしまってる!
うんともすんとも言わず、本当に静かな旅立ちでした。
私がテレビを見て笑ってる横で愛犬が一人で…。
申し訳ない!と思いましたが、
散歩に行ったら毎回2時間コースだった楽しいことが大好きな愛犬。
私が笑っていると一緒になって部屋の中を走り回り、
盛り上がるような性格でした。
私が真横で涙して「逝かないでー!」と叫んでいるよりも
笑い声を聞きながら旅立てた方が気が楽だったかもと
勝手に良い方に考えてしまいました。
大晦日に旅立ち、元旦に火葬。
こんな印象に残る日に旅立たれたら命日を一生忘れません。
『忘れないでほしい』というアピールだったのか、
『今年のうちに旅立つよ!
新年からは介護から解放されて新たな気持ちで暮らしてよ。』
というメッセージだったのか分かりませんが、
うちの愛犬らしい潔さだったなと思いました。
亡くなってもう10年以上経過しましたが、
まだ愛犬と過ごした19年の方が長いです。
こんな大雑把でいい加減な私の相棒として
よく19年も一緒にいてくれたと思います。
まだ歩けたときに行った最後の散歩。
私より3歩くらい前を行く愛犬に
「楽しいねぇ!」と声を掛けたら足を止めてこちらを振り向き
かぁーっと口角を上げて笑った愛犬の顔を今でも思い出します。
きっと私が死ぬまで忘れないあの笑顔。
今でも無性に会いたくなります。
きっと私が会いたいと思った時には昔のように横に寝て
ぷしゅっと鼻を鳴らしてくれていると思います。
今も2匹の犬とうさぎと暮らしている我が家。
この子達もいつかは旅立つ。
そのときに後悔がないよう、日々を大切にしたいと思います。
お骨は今でも一緒
愛犬のお骨は今でも部屋に置いて家族と共にいます。