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【宗教二世・三世】祖父と母の宗教に巻き込まれた子供時代の話

目次

お経を暗記させられた幼少期

旧統一教会が話題になって宗教二世、三世にも目を向けられるようになってきましたね。私の祖父もある宗教にどっぷりでした。人徳もなければ家族からも鬱陶しがられていた祖父。そんな時に出会った宗教だったからその仲間たちがとても優しい人に見えたのでしょう。何かあればその宗教の名前を出していました。
それだけならまだしも、会う度にお経を覚えたかと聞かれるのです。言えるようになるまで何度でも練習しろと。このお経が悪いことから救ってくれるから何か怖いことがあったらすぐにお経を唱えろと言われ続けていた私は、幼稚園の先生に怒られたときに咄嗟にお経を唱えて驚かれたことがありました

覚えろ覚えろと強制的にお経を詠まされていたせいでしっかり暗記しちゃっていたんです。そんなの覚えなきゃいいじゃん!と思うかもしれませんが、母親も見て見ぬふりだったので逃げ場はなく、祖父が帰るまでお経お経と言われ続けるのでやるしかありませんでした。

その記憶力を受験勉強に使いたかったわ。

反抗した小学生時代

幼稚園から小学校低学年までは威圧的な祖父がとても怖い存在でした。だから仕方なく従っていましたが小学校中学年くらいになると宗教だお経だと騒ぐ祖父が鬱陶しくなりました。「信仰したいと思った宗教があったら自分で入るから巻き込まないで!」と祖父に抗議をするようになりました。

それでも祖父は私がお経を恥ずかしがって唱えないものだと思ったのか、ケラケラ笑うだけ。凝りもせずに『お経はまだ言えるか?全部暗記してるか?』と聞いてきます。

「うるさい!もうやめて!そんなことばっかりやっているとおじいちゃんが死んだとき誰も線香をあげに来てくれないよ!お経読んでもらえないよ!あーあ、お経がないから地獄行きだ。」と言ってみたら初めて黙りました。自分が成仏できないことを極度に恐れていた人だったのでその言葉は効果テキメンだったようです。

いつも『おじいちゃんが死んだら線香を絶やさずにお経を上げろ。そうしないと天国に行けないからな。』と言っていたので、お経をあげてもらえないことが祖父にとって最も怖いことなのではないかと考えた結果、咄嗟に言った言葉でした。

ところがそれでも信仰はやめないし、しばらくすると私への『お経は暗記してるか?あの宗教は本当にすごいからな。』という発言が復活しました。

祭壇をぶち壊した日

祭壇と呼ぶのが正しい呼び方なのかは分かりませんが、畳約一畳の大きさの3段か4段くらいの木でできた棚が家にも置かれていました。

宗教にハマった祖父が私たちの家の分まで注文してしまったものです。※もちろん大金は請求されました。棚のイメージとしては雛人形が飾られているひな壇みたいな感じです。

和室に置かれたそれは大きくて、まるで和室の主役。友達が来ると「これ何?」と聞かれるので、小学生の頃なんてその存在が嫌でたまりませんでした。どう見てもよくある仏壇とは違うし。

『お経は言えるか?暗記してるか?朝晩お経をあげているか?』と相変わらずしつこい祖父。

もう我慢できない!

中学を卒業し、身体も成長した私は祭壇をのこぎりで切り刻みました。私が祭壇を切り刻み、祭壇の側面の板をぼこぼこに殴って破壊している姿を見て母は唖然。呪われると騒ぐ祖父。

「宗教の呪いで殺せるもんなら殺してみろ!!」

私はお構いなしで祭壇を破壊。ゴミ袋いくつかにわけてゴミ捨て場に運びました。

祭壇を壊して私はどうなったか

このブログを書いている時点でお分かりだと思いますが、現在30代。宗教に反抗した呪いなどなく、今も元気に図太く生きてます。あれから何か悪いことがあったかというと特にありません。

そりゃタンスの角に足をぶつけたとか、踏ん張りすぎて痔になったとかはありました。でも、命に関わるような事故などはないです。

独身時代も趣味や仕事を楽しみましたし、結婚もできました。
逆に宗教宗教とうるさい祖父がおとなしくなってその後は快適でした。ストレスフリーの生活最高!!

祭壇壊して部屋も広くなりましたし(笑)

祖父のその後

あれだけ『この宗教はすごい!』と言っていた祖父ですが、三度の離婚をし、最後は泥沼の裁判劇。家も取られて車も元妻に勝手に売られてしまいました。しばらく入院して退院しようとしたら車が駐車場から消えていて、売られていることが判明したそうです。宗教を信じていたら安泰のはずなのにおかしいですね。

祖父は亡くなる前の最後の入院のときにこう言っていました。

『おじいちゃんが死んでも飛んでこなくていい。長距離を移動して事故にでも遭ったら大変だ。お経なんかあげなくたっていい。線香もいらない。顔面を踏まないでいてくれるだけで有り難い』と。


やっと気付いたんでしょうか。宗教より家族や仲間と他愛のない会話をしている時間の方がよっぽど楽しくて温かい時間だということを。旅立つ前に気付いただけよかったと思うべきでしょうか。

信仰について思うこと

まず思うのは信仰は自由。それは当然です。でも、人に押し付けるものではない。子供や孫まで巻き込むものではない。

私は宗教は信仰していませんが、ふと亡くなった祖父母、愛犬を思い出すことはあります。就職、退職、結婚、一年の終わり、誕生日。

節目のときに「おばあちゃん、やっと結婚できたよ」と心の中で話しかけると笑顔の祖母が見える気がするんです。お墓まで行かなくても繋がっている気がする。

宗教のお経を見つめている時間があったら私は亡くなった愛犬や祖父母との楽しい時間を思い出して笑いたいし、現在隣にいてくれる家族の目を見て話したい。信仰にお金を使うなら家族と笑いながらおいしいご飯を食べたい。

祖父もきっと寂しかったんだと思います。私に宗教をしつこく勧めてお経を唱えさせたのも私を幸せにしようと真剣に思っていたのかもしれません。

でも、私にはそれは嬉しくなかった。もっと私が別の角度から祖父とコミュニケーションを取っていたら祖父も宗教から抜け出してもっと広い世界で生きられたのかもしれない。

でも、当時学生だった私にできることはあれが限界でした。決してよい幼少期と小学校時代だったとは言えませんが、祖父が身を持って宗教への依存について教えてくれたのだと思っています。

これからも自分のことは自分で決めて歩んでいきます。

今でも思い出すお経

今でもふとしたときにお経の一部を思い出すことがあります。祖父からの宗教の押し付けは祭壇を壊したってリセットすることはできない。記憶からは消えないもの。でも、今ではお経の全部はもう言えません。徐々に忘れていっている。

いつか完全に忘れることができるのか。忘れたことすら忘れてしまう日が来たらいいのですが。その日が来たら本当の“祖父からの宗教の押し付け”の終わりだと思っています。

とても長くなってしまいましたが、お付き合いありがとうございました。

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