我が家の愛犬
保健所にいるところを愛護団体によって引き出され、その後我が家に来たワンコです。
簡単にご紹介。
名前→バウ子
性別→オス
年齢→保護当時は推定5歳
現在は推定10歳
犬種→ペキニーズ
好物→鶏のササミと温野菜が好き
特徴→耳が聞こえていない。けれどジェスチャーで意思疎通可。吠え方が独特。
バウ子の名前を言うと必ずと言っていいほど、聞き直されます。そして笑われます。その後、「オスなのにバウ子!?」と聞かれます。
これが定番の流れ。最初は保護団体さんがつけてくれた名前がありました。けれど、バウ子の鳴き声を聞いた瞬間、「バウ子」という名前が浮かんで改名。
大抵のわんこは「わんわん!」と吠えますよね。バウ子は小声で「バーウ・・・」と鳴くんです。
保護してから6年経過した現在は随分積極的になり、時々はワンワン言うけれど、今でもバーウバーウと小声で言いながら尻尾を振っていることの方が多いのです。
最初は笑われるこの名前。一度聞いたら忘れないので、みなさんにすぐに覚えてもらえて便利。私はとても気に入っています。今後、このブログに沢山登場する予定のバウ子。皆様、お見知りおきを♪
迎え入れるきっかけ
こちらがこのブログの主役であるバウ子です。保健所に収容されていたときはこんな姿でした。
毛は中途半端に刈られていて、体はつるつる、顔周りはモサモサ。
当時は推定4歳~5歳。まだやんちゃな年齢なのに、痩せて背骨が出ていました。顔もなんだかしょんぼり。
バウ子が保健所に収容されていたその当時、私には3歳になったばかりの愛犬がいて、保護犬を引き取ることは考えていませんでした。
次に飼うなら保健所から!と頭のどこかで意識はしていたけれど、即行動に移すほど具体的には考えていなかったのです。
しかし、今はバウ子が我が家にいる。なぜなのか・・・。なぜなのか…。それは、3歳の愛犬の死でした。
急性の病気で、病院に連れて行った翌日には旅立ってしまったのです。
ペットロス!!
物心ついたときには犬がいる環境でした。初めて飼った犬は19歳2か月頑張ってくれました。
亡くなった時にはもちろん寂しかったけれど、毎日のおむつ替えに認知症による夜中の徘徊等、介護もやりきった気持ちが強かったのでそこまで落ち込むこともなく、笑顔で送り出すことができました。
しかーし!まだまだ共に過ごすつもりだった3歳の子との突然の別れとなるとそうもいかない。亡くなってからというもの、寝ても覚めても泣いていました。
もしかしたら病気の発症前にも身体の変化があったのではないか?私がサインを見逃していたのでは?今までに何匹も飼った自信から健康管理が手抜きになっていたのでは?
一体何がいけなかったのかをひたすら自分に問いかけて「救えなかったのは私のせい。」と自分を責めては吐くほどに泣く。そんな日々でした。
泣いてばかりもいられない
12月のある日、私を奮い立たせるきっかけ到来!偶然覗いたツイッターで「年末に向けて愛護センターには捨て犬が溢れて処分される」というようなツイートを見ました。
ショックを受けることを承知で、愛護センターに収容された犬の行く末を調べました。愛護なんていう言葉がついているけれど、引き取り手のない子は期限切れとともに処分。
ドリームボックスと呼ばれる部屋に押し込まれ、誰にも悲しんでもらうこともなく、冷たい床の上で旅立っていく。その事実を知ったとき、私は愛犬の死を無駄にはできないと立ち上がりました。
私の部屋には急死した愛犬のお茶碗、フード、おもちゃ、トイレセット、お散歩グッズ、ハウス、そして犬用に貯金していた飼育費。わんちゃんが身体一つで来てくれればいつでも住める環境が整っている!愛犬は3歳で亡くなったけれど、その子を15歳、20歳まで飼うつもりで準備をしていたのだから、
今度は生きたくても生きられない環境に追いやられている子を迎えよう。
早速里親になるべく行動をし始めました。